しふくのーと

誰も得しない日記

月光下、鍵盤上

 

 

『ヨルシカ LIVE TOUR 2023  月と猫のダンス』

 

 

コロナ禍に出会った音楽。

 

それは中学から愛して止まない Mr.Children の次点に来るほどまでのものだった。

 

それほどまでに大きく影響を与えた。

 

物憂げとは正反対の6月初日の札幌公演2日目の様子を綴る。

 

(※スクリーンの映像の切り抜きはクリエイターの市川 稜さんの Instagram よりお借りしています)

 

 

 

 

 

開演前

 

【札幌文化芸術劇場 hitaru】

 

2018年にニトリ文化ホールの後継施設として開場した新しい箱での初ライブ。

もちろん音の良さはお墨付き。

 

グッズ販売のほか、これから行われるライブのキーとなる絵画の展示も行っていた。

 

(前日は SOLD OUT だった猫ちゃん座布団)

(めちゃんこかわいい)

(すき)

 

階を上がり会場に入ると、第二夜 をバックサウンドに、物語のホームとなる海辺の家の一室を作り上げたステージが見えてきた。

 

 

ステージの真ん中にはピアノとキャンバスを立てかける画材が置かれている。

 

そんなアーティスティックなステージに目を奪われながら席に着く。

 

 

うん、近いね。

 

どこかであり得ないくらいの得を積んでたらしい。

 

Against All GRAVITY の沖縄のときくらい近くて始まる前からわくわくが止まらなかった。

 

そんな気持ちとは裏腹に、開演時間を過ぎると会場の緊張感が高まるのが分かる。

わくわくと緊張感が共存するこの数分間、大好き。

 

開演時間から10分ほどが経ち、照明が暗転する。

 

 

 

Written by n-buna

 

 

 

スクリーンに映し出された文字が消えるとアクターが登場し、ステージ真ん中の椅子に座って絵を描きはじめる。

 

 

 

 

 

01. 朗読劇①

 

「花瓶の花が枯れていた」

 

そんな一言から始まった一人の男の語り。

 

売れない絵描きのその男は自身が描いた絵と葛藤し、描いては捨て、描いては捨てを繰り返す。

 

捨てられた絵によって舞う埃。

 

窓から射し込む陽の光に輝く部分の表現は文体を現実化したそれだと感じた。

 

そんな男の息抜きの一つにピアノがある。

 

と言ってもベートーヴェンピアノソナタ14番 "月光" を弾く程度なのだが。

 

何も考えずに生きていける鳥を羨みながら 月光 を弾く。

 

一瞬、窓の外から猫の鳴き声が聞こえ、手を止めるが、このときはまだ気のせいだと感じた絵描きは演奏を再開する。

 

再開した 月光 のフェードアウトとともにギターのインストが始まり、やがてドラム、シンセサイザーと合流し、ポップなリズムを奏でる。

 

ノリノリな音楽隊のフロントにsuisさんが姿を見せると、これから始まる動物たちの物語のオープニングに相応しい一曲を歌い出す。

 

 

 

 

 

02. ブレーメン

 

パンツスタイルでフォーマルな黒のジャケットを着飾り、ブレンドヘアをまとめたsuisさんの姿が照らされる。

 

(え!?!   イメージとちがう!!!!!)

 

 

かっこいいんだが!?!?!?!?!?!?

 

 

前世や月光のライブ映像を何度も見返して目に染みついてる主の中のsuisさんとはまるでちがう姿がそこにあった。

 

一瞬、戸惑いがありながらもイメージを覆すその姿に目も心も釘付けになる。

 

ねぇ考えなくてもいいよ

踊り始めた君の細胞

この音に今は乗ろうよ

乗れなくてもいいよ

 

観ている我々の身体も弾ませるその曲調とフレーズは、音楽隊へと誘うかのような雰囲気すらあり、「あっはっはっは」というsuisさんのかっこよくたくましい笑いが何も気にせず音に身を任せていいものだと教えてくれる。

 

アウトロでは平畑徹也さんのピアノが目を惹き、原曲以上のオシャレなアレンジがとても素敵だった。

 

スクリーンにはこれから登場する動物たちのアニメーションが映し出され、動物たちによるダンスというライブコンセプトをしっかりと魅せてくれる演出だった。

 

 

 

 

 

 

03. 又三郎

 

ブレーメンから間髪入れずに疾走感溢れるロックなイントロが流れる。

 

n-bunaさんをはじめ、ピアノの平畑さんはヘドバンを繰り返しながら暴れるように音をかき鳴らす。

 

言葉は貴方の風だ

 

僕らを呑み込んでいくほどの言葉。

そんな言葉をフレーズをヨルシカからたくさん教えてもらった。

自分の風の一つになった 又三郎 で一番好きな歌詞。

 

遮るものが何もない草原の中で一人踊る映像は、開放感に溢れたサビが表れていて、そんなサビの歌声もハードでロックなサウンドにはもちろん、三郎がやってきた日のような強い風(青嵐)が吹いても負けないような力強さを感じた。

 

 

 

 

 

 

04. 朗読劇②

 

「あなたの描く絵には何かが足りない」

 

元恋人に言われた言葉を思い出す。

 

絵の展示会に関わる仕事をしている彼女は、絵を見る眼を持ち合わせていた。

 

人が心を打たれない「どこかを切り取った絵」と評され、売れない絵描きとしての現実が刺さる。

 

答えが見つからないまま夜になり、開けた窓から月の光がピアノの鍵盤を照らしている。

 

そんな情景に相応しい 月光 を弾き始めると、一匹のカナリアがやってくる。

 

追い払おうとしても微動だにしないことに諦めをつけ、再び弾き始めると、カナリアは羽を開くように動いていた。

 

鍵盤を弾く手を止めるとカナリアも止まる。

 

ピアノの音に合わせて動いているその姿に最初は馬鹿馬鹿しく思った絵描きだが、その奇妙な光景を写そうとスケッチブックを手に取り、カナリアを描く。

 

夜が明けた頃には、カナリアは飛び去っていった。

 

開けた窓の先に広がる海を眺めながら、遠くに飛んでいるその羽を想像する。

 

 

 

 

 

05. 老人と海

 

遥か遠くへと、まだ遠くへと飛んでいったカナリア

 

鳥の鳴く声だけが聞こえてる

 

その声の中にカナリアはいるだろうか。

 

開けた窓から吹き込む潮風は、そんな想像をする絵描きの肌を舐む。

 

サビの美しく伸びる歌声をより響かせ、曲終わりの心地良いさざなみの音をさらに増幅させたホールという会場に凄く合う一曲だった。

 

 

 

 

 

 

06. さよならモルテン

 

n-bunaさんのギターからカナリアに引っ張られるかのように鳥が出てくる曲が続く。

 

相棒はガチョウのモルテン

 

ガチョウは出てこないけど、ポップな映像の中で飛んでいる鳥はカナリアだった。

 

かもしれない。

 

 

 

 

 

 

07. 朗読劇③

 

絵描きは小さい頃からさまざまな景色を描いていた。

 

しかしそれは良くも悪くもただその景色を描いただけである。

 

「絵には訴えかける何かが必要」

 

元恋人の言葉が再び刺さり、夜の窓際で物思いに耽っていると、ぬめぬめとしたカエルの表面が手に触れた。

 

追い払おうとしても動かない。

 

その図々しさに既視感を覚える絵描き。

 

気が付くとカエルは月の光に照らされたピアノの上に乗り、絵描きが奏でる 月光 に ゆっくりと身体を踊らせている。

 

スケッチブックを手に取り、あのときと同じようにその奇妙な光景を描く。

 

手を洗って戻ってくると、鍵盤の上にいたのはカエルからカメレオンに変わっていた。

 

案の定、手を触れてもカメレオンが動くことは一切ない。

 

ピアノの音を除いては。

 

 

"ピアノの音を求めてやってくる動物たち"

 

どこかの本で読んだそんなロマンチシズムに溢れた現実が今ここにあった。

 

 

 

 

 

08. 都落ち

 

 

和!

 

 

ローソンでチョコレートモカを買い、絵を読み込んで初めて聴いたときの第一印象。

 

和楽器を使わないでここまで和の音のように表現できるn-bunaさんの作曲センスが凄すぎる。

 

そんな和の音はこの日もn-bunaさんのエレキ、下鶴さんのアコギ(マンドリンじゃなかった)、平畑さんのピアノによって再現されていて、スクリーン映像がないことで音を際立たせる演出となっていた。

 

桜色に照らされたステージで歌うsuisさんの姿は妖艶な美しさがある一方で、歌い方にはこれまでとは変わって可愛さが加わっていた。

 

詞の美しさは ......... 言うまでもないね?

 

 

 

 

 

09. パドドゥ

 

 

「もっと踊っていようよ」と言うようにスクリーンには画集の絵のような草原をはじめ、様々な場所で踊る男女が映る。

 

幸せそうに踊るその光景は、どんな場所でもどんなことがあっても互いに離れないと思わせるほどの二人だけの世界だった。

 

情けない顔のままでもいい

泣き止んだ顔のままでもいい

ずっと貴方(あなた)と踊っていたい

ふざけた笑顔で貴方(ぼくら)は踊れるから

 

「考えなくてもいいよ」と優しく語りかけ、踊ることでただただ幸せが生まれる愛の世界。

その語りがsuisさんであることで、涙腺が少し危うくなる。

 

(あぁ、この人に自分を委ねていいんだ)

 

何も考えずとも聞こえてくる美しい音と声によって、自然発生的にそんな想いが生まれ、舞踏会のワルツのように拍が変わるラスサビ前では、その想いが一層強くなった。

 

今回のライブで一番好きだった曲かもしれない。

 

それから 月と猫のダンス の "キー" はここにあるんじゃないかなって思ったりもしてね。

 

 

 

 

 

10. チノカテ

 

優しいイントロが付いて歌い出しが始まる。

 

ポツリとつぶやくようなサビ前の一言で照明が変わり、それぞれのサビごとに異なる色 (夕陽:橙   散った:緑   待って:桜) で彩られる演出が素敵だった。

 

貴方の夜をずっと照らす大きな光はあるんだろうか?

 

必死に夢を追う過程で誰しも上手くいかないことがある。

そんなときに支えてくれる人はいるだろうか。

辛いときに支えてくれる人を大切にしているだろうか。

 

「待って」と思ったときにはもう遅いかもしれない。

 

部屋の中にある花が "枯れた花" ではなく "枯れてしまった花" と気付いたときには、大切なものはもう何も残っていないかもしれない。

 

それならいらないものさえも捨てて外に出よう。

 

そんな貴方でいいから。

 

それでいいから。

 

 

 

 

 

 

11. 朗読劇④

 

窓際で再び奇妙な物体を見つけた絵描き。

 

正体はウサギだった。

 

次々とやってくる動物たちに考えることをやめた絵描きは 月光 を弾く。

 

音に合わせて窓枠を齧るウサギ相手に言っても伝わるはずのない文句を浴びせる。

 

溜息をつきながらも、絵描き自らがウサギを家に招き入れ、待ちわびているであろう 月光 を弾くと、そこには短い手足で踊る ある種見慣れた光景があった。

 

 

 

 

 

12. 月に吠える

 

その奇妙な光景を表すかのような不気味なイントロが、n-bunaさんの咳(原曲+α)の後に続く。

 

"アイスピック" というフレーズがなくとも どこか冷たさすらも感じるダークな雰囲気の中にある歌声は主の一番好きなsuisさんである。

 

音と音を区切っていることで間の無の時間が夜の静寂のような表現になっていて、唯一音がつながるCメロの不気味さがより際立つようにもなっている。

 

殺傷能力高すぎる n-bunaさん、そのまま殺してください。

 

ダークなsuisさんを聞きながら殺られる人生、全然ありなので。

 

 

 

 

 

 

13. 451

 

リズムドラムからsuisさんが下手に移動すると、ギターを置いたn-bunaさんがシンメにやってくる。

 

 

「あのっ  太陽を見てたっ」

 

 

よ!  ん!  こ!  い!  ち!

(※主が勝手にそういう呼び方をしているだけです)

 

 

受け入れる準備がまだできていない我々を歌い出しで攻撃してくる。

 

だから!  殺傷能力高いんだって!!!(惚)(吐)

 

多分会場の全員がかろうじて生きている状態だったけど、n-bunaさんの攻撃は止まらない。

 

ノリノリで横揺れを繰り返し、メインボーカルとしてハスキーな高音を響かせるn-bunaさんと、それに合わせるように揺れる低音コーラスのsuisさん。

 

時折、互いを見合いながら歌っている姿は何より楽しそうで、見ている我々も幸せにさせる光景だった。

 

スクリーンには原作 "華氏451度" と「燃やして」というフレーズを象徴するように本が燃えている映像が終始流れていた。

 

"引火して燃えている本に面白さや喜びを感じる"

 

普通ではありえないその光景を面白がるところは、絵描きが次々と家にやってきてはピアノに合わせて踊る動物たちをどこか面白がっているそれと重なっていて、自分も「踊って」と繰り返すように、動物たちと共に踊りたいほど面白がっているのではとすら感じた。

 

 

 

 

 

14. 朗読劇⑤

 

元恋人に動物たちとの出来事を電話で話す絵描き。

 

どうやらウサギの後にはコウモリもやってきたようだった。

 

もちろん、冗談のつもりで聞いている彼女は、その出来事に少し似た宮沢賢治の "セロ弾きのゴーシュ" を話題に出しながら「今度行こうかしら」と絵描きをからかう。

 

「絵の雄弁さは時に言葉と変わらない」

 

「絵本作家にでもなったら?」という一言に続けた彼女の言葉に感心した絵描きだが、この言葉はその昔、自分が言った言葉だという。

 

少し恥ずかしくなり、セロ弾きのゴーシュ の結末を訊ねる。

 

"やってきた動物たちに「もっと優しくしてあげればよかった」と想う"

 

彼女の皮肉に気付いた絵描きは、電話越しに笑っている彼女との話の終わり際にその動物たちをテーマとして絵を描くことを勧められる。

 

些細なことからの別れというものは平凡なものである。

 

部屋のスケッチブックを眺めながら、ぼんやりと2人でのあの頃を思うのだった。

 

 

 

 

 

15. いさな

 

 

部屋の中を魚が泳ぐ映像。

 

水のない空間で泳ぎ続けるそれは、空の心の中でも水があるときと同じように過ごしたいという絵描きの心情を表しているようだった。

 

一音一音鳴らされる冒頭のアコギはゆっくりと時を刻む振り子時計のようにも聞こえてくる。

 

それほどまでにあの頃の時間が思い出であり、彼女へ想いを馳せるように切なく歌うsuisさんはこの日一番の美しさを放っていて、表現力も素晴らしかった。

 

足元に広がるスモークが降り注ぐ青い照明によって水面のようになる演出は神秘的で、パドドゥ に匹敵するほど心を打たれた一曲だった。

 

 

 

 

 

16. 雪国

 

 

さまざまな雪景色の中で降り積る雪のようにスクリーンに残り続ける歌詞。

 

月に吠える 以上に音の区切りが鮮明(歌声も区切ってる)で、音の数自体も限りなく少ないシンプルで難しい曲であるはずなのに、それにぴたりと合うような一音一音を丁寧に歌い上げる声が響く。

 

雪国住みの人には伝わるであろう "雪が降り積る中の特有の静けさ" がホールという会場の中で再現されていて、幻想的な空間が広がっていた。

 

前曲から続く過去への想いがこの2曲でより強い想いであることを表していて、絵描きは今でも元恋人のことが好きなんだと思った。

 

 

 

 

 

17. 朗読劇⑥

 

羽音を立ててやってきたフクロウ。

 

絵描きはその様子に慣れたように 月光 を弾き、羽を広げたフクロウを描く。

 

次にやってきた羽虫もまた同じように鍵盤の上に乗って音に合わせて踊り、それを描く。

 

その次に窓の外を覗いたときは鹿がそこにいた。

 

角で窓を突き、音に合わせて鳴く大きな声に溜息をつきながらも、スケッチブックを手に取り、その様子を描いた。

 

 

 

「送った絵はどうだった?」

 

テーマをくれた元恋人にこれまで出会った動物たちの絵を送った絵描き。

そこに想い人の人間の絵を加えて。

 

『踊る動物』というありきたりなタイトルだが、彼女は感心したのか、展示会のオファーを出してくれる。

 

またとない機会を得た絵描きは、心を決めて絵を描き始めた。

 

 

 

 

 

18. 第五夜

 

平畑さんによるピアノ。

 

その合間に鳴らされるn-bunaさんのギター音は動物の鳴き声のようにも聞こえた。

 

 

 

 

 

19. 夏の肖像

 

爽やかなメロディが響き、夏の展示会に向けて絵を描き続ける日常を映す。

 

揺れる木々を始めとした自然を映す映像が流れ、「もっと踊るように」というフレーズが、自然さえも音を立てて動物たちのように踊っているとすら感じさせた。

 

 

 

 

 

 

20. 靴の花火

 

 

前世ツアーで夏草以来6年ぶりに演奏されたのを知って遠征すればよかったと思った曲。

 

この日の靴の花火は夏草ver.

 

スクリーンにはさまざまな情景に動物たちが映る。

 

ねぇ  ねぇ

黙りこくっても言葉要らずだ

目って物を言うから

 

最初はなぜそこにいるのか分からなかった動物たち。

 

それでも絵描きは次第にピアノの音に合わせて踊りたいという彼らの意志が見えた。

 

目が物を言う描写は次の朗読劇に出てくる最後の動物がそれを担っている。

 

サビの力強くて綺麗な、それでいて最後は優しいsuisさんの歌声は、ヨルシカという音楽をより好きにさせてくれた思い出でもあって。

(出会いは 花に亡霊 なんだけどね)

 

最後に出てきた鹿はたぶんあの鹿かな......?

 

それと この日のコーラスはキタニさんだった。

 

 

 

 

 

21. 朗読劇⑦

 

絵描きは展示会の準備で慌ただしく、しばらく筆を握らない日々が続いていた。

 

窓の外から猫の鳴き声が聞こえたが、そこには何もいない。

 

いつものように 月光 を弾いていると、窓際から先ほどの猫がやってきてピアノの上に座る。

 

 

「君たちの絵を描いていたんだ」

 

そう猫に話しかけ、やってくる動物たちの話をしても信じてもらえない大家の話をする。

 

深い夜の色をしている猫の瞳に既視感を覚えた。

 

遠い昔、どこかで見たそれを思っていると頬に涙が伝っていた。

 

月光が鍵盤を照らす中、猫は絵描きに近づき鼻でキスをすると、ゆっくりと外へ消えていった。

 

これが奇妙な動物たちを見た最後の日だった。

 

 

 

 

 

22. 左右盲

 

 

スクリーンにはさまざまな図形で取り繕ったように形成された2人の映像。

 

Music Video の概要欄にある

「時間が経ち、相手の顔の造作や仕草を少しずつ忘れて、その左右もはっきりとわからなくなっていくような感覚」

のはっきりとその形が思い出せなくなっている様を表していると感じた。

 

左右盲 という制限的な言葉に相反するようなサビの壮大さは、目の前で奏でられる音によって原曲以上に再現されていた。

 

それでいて曲自体はだんだんと大切なものを失っていくようなコンセプトでもあり、色々な部分での対比という点でも "左右盲" であったりね。

 

 

 

 

 

23. アルジャーノン

 

 

原曲にはないオリジナルのピアノのインストから始まる。

 

貴方はどうして僕に心をくれたんでしょう

貴方はどうして僕に目を描いたんだ

 

スケッチブックに描かれた動物たち。

そんな動物たちからの問いかけにも聞こえる。

 

「目を描いた」という部分は、単に "命を吹き込んだ" という意味だけでなく、"見えなかったものを見せてくれた" という意味も含んでいると感じた。

 

このフレーズは、動物たちから絵描きへの問いかけであって、これからの自分を見せてくれた絵描きから元恋人への問いかけ(感謝)でもあるんじゃないかな。

 

別れたはずの彼女が、自分に絵のテーマをはじめ、過去の自分の言葉、セロ弾きのゴーシュ、そして展示会の誘いまで たくさんのきっかけを与えてくれた。

 

からかっているように見えて、誰よりも絵描きのことを気に留めてくれている存在。

 

そんな人のおかげで絵描きの眼はかつての夢をまた見始めていた。

 

 

僕らはゆっくりと忘れていく とても小さく

少しずつ崩れる塔を眺めるように

僕らはゆっくりと眠っていく

ゆっくりと眠っていく

 

過去に縋っていたこれまでとは変わって、ゆっくりと過去を忘れ消え去っていこうとしている。

 

それは動物たちと彼女によって変わった自分が、今、夢に向かってゆっくりと走り出していけるから。

 

 

穏やかでありながら丁寧に奏でられるサウンドと感情的な歌声が物語のクライマックスとして会場を呑み込む。

 

ラスサビではステージ上からゆっくりと降りてきた幾つもの照明が星空のような光景を作り上げ、その下の音楽にこれ以上ない視覚的な音を加えた。

 

この日一番の演出であり、物語を締め括る音楽としてあまりにも相応しすぎた一曲だった。

 

 

 

 

 

24. 朗読劇⑧

 

ステージが明転すると、踊る動物たちを描いた10枚の絵が並べられていた。

 

「どこか不可思議な魅力が溢れている」と絵の説明を始め、夢であった展示会が開催された。

 

客入りは疎らであったが、展示会を開催できたことが絵描きにとって思い出であり、これからへの大きな一歩となっていた。

 

「一枚もらっていい?」

 

見ていた絵はがきから顔を上げると、そこには元恋人の姿があった。

 

「絵が良かったから背中を押したくなった」

 

最高の褒め言葉だと感じた絵描き。

「訴えかける何かがない」と根本を評された見る目がある彼女の言葉であったからだ。

 

 

「変わらないように見えて、人は皆変わっていく」

 

アルジャーノンのフレーズが重なる。

 

自分を変えてくれた元恋人もまた、時間が経つとともに変わっていってる。

 

彼女の左手の薬指にある指輪を見てそう感じた。

 

 

展示会は後の仕事にもつながったほか、過去の絵にも買い手がつくほどの成功を収めた。

 

改めて彼女にお礼を伝えると、訴えかける何かがないと評された過去の絵の話になる。

 

"面白みのない絵は悪いわけではなく、絵描きとして生活をするためには、手に取ってもらえるような面白みがあるといいのではないか"

 

当時の一言にそんなニュアンスが含まれていたことを絵描きはここで知る。

 

「その辺りにある景色を描いたとしても、その絵にはその絵にしかない価値がある」

「たとえ誰にも買われなかったとしても、それは立派な一つの絵なんだから」

 

絵描きとしての根底を思い出したかのように男は感心するが、これもまた、昔の自分の言葉だった。

 

変わっていない絵描きの姿に彼女は笑い、左手の指輪が光る。

 

変わっていないと笑っている彼女は変わっているという描写に、絵描きの心がまた少し揺れる。

 

 

彼女を会場の外に送り出したとき、空は茜色に染まっていた。

 

あの動物たちのおかげかもしれないと呟く絵描きにまた彼女は笑みを浮かべ、貴方に似て面白かったと動物たちの絵を褒めてくれた。

 

「あの猫なんてピアノを弾いてる時の貴方にそっくり」

 

目を閉じて鼻を上げる彼女が真似たその姿に絵描きは衝撃が走った。

 

 

 

 

窓の外を眺めながらピアノを弾く。

 

自分でも信じ難い一つの奇妙な想像が頭から離れない絵描きは、部屋にある10枚の絵のように踊りを真似る。

 

彼らは本当に踊っていたのだろうか。

自分の勘違いなのではないか。

彼らはピアノを弾きたかったのではないか。

 

 

月光 のメロディーを奏でる。

 

 

「奇妙な踊り ......... か」

 

 

椅子を立ち、あの動物たちのように踊る。

 

 

それは猫がピアノを奏でるようなシルエットだった。

 

 

 

 

 

物語が幕を閉じ、アクターさんの後にsuisさんとn-bunaさんが前に出て一礼する。

 

温かい拍手は彼らの姿が見えなくなるまで鳴り止むことはなかった。

 

 

 

これまでのヨルシカとはまた違った新しいかたちのライブを見ることができて本当に新鮮だった。

 

台詞という言葉で物語を構成するライブコンセプトと言葉が無くとも音を鳴らしたいという動物たちの心が見える物語の対比。

 

その中の心情を奏でるような幻燈の曲たちがどれも素晴らしく、一つのコンセプトアルバムのように仕上がっているように感じた。

 

 

幻想的で芸術的な空間を作ってくれたヨルシカ。

 

 

また絶対、会いに行くね。

 

 

 

 

 

 

(ブレーメン と 又三郎 のときに何度かお顔を見ることができたのは小さな宝物として心の中に...)

 

 

 

 

fin.